2010年04月24日
小論文 「商業立国 日本」【3.三つの提言】
「100年後にむけての日本又は日本人はどうあるべきか」懸賞論文 応募作 「商業立国 日本」
【3.三つの提言】
【3.三つの提言】
現代の日本は、非常に精密化された商業で成り立っているにもかかわらず、その根本にある「商いの倫理」を置き去りにしている。自国の伝統的な「商いの倫理」を礎にしてきたのを、いつからか経済的利益のみを追求して消費者や世の中への貢献を軽視する“数値的な論理”に乗り換えてしまった。近年それによる悪影響を反省する観点から「CSR・企業の社会的責任」の概念が欧米から伝わり常識となったが、それさえ経済的利害を行動の基準としている点で「商いの倫理」には及ばない。「商いの倫理」に忠実であれば、自らの損得より先に相手と世の中のためになる行動を取るであろう。
本論文で私が提唱したいことの一つは、「CSR」から「商いの倫理」へのバージョンアップである。
「CSR」という言葉が企業に掲げる目標は、消費者や世の中、地球環境に対する「配慮」や、社員によるボランティア活動のような“本業以外での”社会活動と理解されていないだろうか。企業は世の中に害を与えないようにする、本業とは離れて特別に社会のためとしてボランティアを行う、といった文脈である。
日本の企業社会がこの程度のことを満たして満足するべきではない。「商いの倫理」に則るとすれば、商業として消費者・世の中・地球環境へは「貢献」するのが前提であり、従って本業がそれすなわち社会活動と言えなければならない。その考えを踏まえれば、一般に公開できない情報はほとんどないはずであるが、少なくない企業は自社のよい点のみをCSR活動として公表し、その裏で密かに世の中のためにならない事業に手を貸しているのが現状と思われる。
インターネットメディアが発達し市民・消費者の目が厳しい現代においては、これらの“隠れた事業”が不祥事として露見し批判を受けるのは時間の問題である。これは組織トップのイニシアティブで変革されなければならない。
そしてこれを実現できるのは企業の意思決定者だけではない。「CSR」から一歩進んだ概念として、自らの資金を投資の形で世の中に役立てる「SRI・社会的責任投資」の重要性が注目されている。金融機関への預金・投資先の選択などによって世の中に好ましい影響を与える企業を支援し、逆に悪影響を及ぼす企業への資金提供を止めるという行動である。
前述の渋沢栄一によって明治期に立ち上げられた「銀行」のシステムだが、現状は当時の“産業振興・公益第一”の理念から逸脱している面があると言わざるを得ない。利益重視に向かった銀行が消費者金融業者や軍需関連企業に多額の投資を行っていることはすでに批判を受けている。
「SRI」には投資家だけでなく、一般企業や市民も参加できるが、既存の金融機関のネガティブな面をアピールしているのは一部NGO・NPOしかない。さらに、本来の目的である「公益」のための融資を行う、既存の銀行に代わる強固で信用ある金融機関が不在であることも課題である。第二の提言としては、「商いの倫理」を実現する公益のための全国的金融機関を立ち上げるべき、ということを挙げたい。
最後の提言は、以上のような日本の伝統的な「商いの倫理」を伝える教育を行うことである。現在空白化していると言われる小中高生の「道徳」の芯として「商いの倫理」を据えるのはどうか。商業という観点から、日本の世の中に尽くした偉人の生き様を学び、世の中の役に立つとはどういうことかを身につける。渋沢栄一の「道徳経済合一説」に則せば、子どもたちへ経済・金融のリテラシーも伝えてしかるべきであろう。その中から、現代の日本が忘れている「商いの倫理」を取り戻す役割を果たす人物が確実に生まれる。私はそう確言したい。
<終>
(本人コメント:懸賞論文の主催団体名や題目から勝手に雰囲気を読み、意図的に多少色付けて書いたものです。)
本論文で私が提唱したいことの一つは、「CSR」から「商いの倫理」へのバージョンアップである。
「CSR」という言葉が企業に掲げる目標は、消費者や世の中、地球環境に対する「配慮」や、社員によるボランティア活動のような“本業以外での”社会活動と理解されていないだろうか。企業は世の中に害を与えないようにする、本業とは離れて特別に社会のためとしてボランティアを行う、といった文脈である。
日本の企業社会がこの程度のことを満たして満足するべきではない。「商いの倫理」に則るとすれば、商業として消費者・世の中・地球環境へは「貢献」するのが前提であり、従って本業がそれすなわち社会活動と言えなければならない。その考えを踏まえれば、一般に公開できない情報はほとんどないはずであるが、少なくない企業は自社のよい点のみをCSR活動として公表し、その裏で密かに世の中のためにならない事業に手を貸しているのが現状と思われる。
インターネットメディアが発達し市民・消費者の目が厳しい現代においては、これらの“隠れた事業”が不祥事として露見し批判を受けるのは時間の問題である。これは組織トップのイニシアティブで変革されなければならない。
そしてこれを実現できるのは企業の意思決定者だけではない。「CSR」から一歩進んだ概念として、自らの資金を投資の形で世の中に役立てる「SRI・社会的責任投資」の重要性が注目されている。金融機関への預金・投資先の選択などによって世の中に好ましい影響を与える企業を支援し、逆に悪影響を及ぼす企業への資金提供を止めるという行動である。
前述の渋沢栄一によって明治期に立ち上げられた「銀行」のシステムだが、現状は当時の“産業振興・公益第一”の理念から逸脱している面があると言わざるを得ない。利益重視に向かった銀行が消費者金融業者や軍需関連企業に多額の投資を行っていることはすでに批判を受けている。
「SRI」には投資家だけでなく、一般企業や市民も参加できるが、既存の金融機関のネガティブな面をアピールしているのは一部NGO・NPOしかない。さらに、本来の目的である「公益」のための融資を行う、既存の銀行に代わる強固で信用ある金融機関が不在であることも課題である。第二の提言としては、「商いの倫理」を実現する公益のための全国的金融機関を立ち上げるべき、ということを挙げたい。
最後の提言は、以上のような日本の伝統的な「商いの倫理」を伝える教育を行うことである。現在空白化していると言われる小中高生の「道徳」の芯として「商いの倫理」を据えるのはどうか。商業という観点から、日本の世の中に尽くした偉人の生き様を学び、世の中の役に立つとはどういうことかを身につける。渋沢栄一の「道徳経済合一説」に則せば、子どもたちへ経済・金融のリテラシーも伝えてしかるべきであろう。その中から、現代の日本が忘れている「商いの倫理」を取り戻す役割を果たす人物が確実に生まれる。私はそう確言したい。
<終>
(本人コメント:懸賞論文の主催団体名や題目から勝手に雰囲気を読み、意図的に多少色付けて書いたものです。)
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Posted by 山本泰弘 at 02:00│Comments(0)
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