2018年01月06日
2017-07-05 「『紅い宝石』は過度な返礼?」@山形新聞
『紅い宝石』は過度な返礼?
(2017年7月5日 山形新聞採用)
(2017年7月5日 山形新聞採用)
今年もさくらんぼの季節を迎え、地元果樹農家は年に一番の稼ぎ時だ。近年はふるさと納税による他地域からの需要が伸び、山形の魅力発信と地域経済の活力につながっている。
だが、喜んでばかりはいられない。今年春、総務省が「過度な返礼」を戒める助言を自治体に発した。いわく、宝飾品のような資産性の高い品は、返礼に送らないように、と。
万が一にも、「紅い宝石」と称される県産さくらんぼは“資産性の高い品”として政府に禁じられてしまうおそれはないか。
いや、笑い事ではない。あるものをないと言ってのける政府である。しかも吉村知事は政府のアリガタイ助言に一矢報いてしまった。目をつけられたかもしれない。
資産性というのも、花も実もない話ではない。遠方の人にとっては、さくらんぼが資産にも感じられることを否定はできない。私が京都で学生をしていた頃、女子学生たちに東根の佐藤錦を振舞ったところ、奪い合いの様を呈したことから明らかだ。念のため付け加えると、奪い合われたのは私ではなく佐藤錦のほうである。
私が首長ならば、政府の助言に迎合し「さくらんぼは資産にあたるか、はたまた『紅い宝石』とは事実に反する表現か、地域の命運を左右する課題として真剣に検討したい」と述べるであろう。そして政府に倣い、国民が納得する調査結果をすぐに明らかにしたい。
〔政府・総務省への皮肉を利かせた問題作。〕
2018年01月06日
2017-12-06 「明治の若者に学び 主権者の役目を考える」河北新報
明治の若者に学び 主権者の役目を考える
(2017年12月06日 河北新報採用)
(2017年12月06日 河北新報採用)
「人民が主権者であるならば、自分がもし国家の立場に立ったらどうするか、ということを絶えず考えなければならない」。石破茂氏が好んで引用する、哲学者・田中美知太郎の言葉である。
明治維新から間もない時代の日本には、その志で国のあり方を考え、一から憲法草案を作る若者たちがいた。しかも、全国各地に。東京のエリート官僚などではなく、地方の若者たちが自学自習を積んでいたのである。
そのうちの一人が、現在の栗原市に生まれた千葉卓三郎。仙台藩士として戊辰戦争を戦い敗者となった後、各地を流浪し西多摩の村里に教師の職を得る。彼の志を見込んだ地元の有力者がパトロンとなって資金を供給し、山村にあっても高価な書物を取り寄せたり講師を招いたりして学究を深めることができた。彼の書いた憲法草案「五日市憲法」は、当時蔑ろにされていた国民の権利を明記した先進的なもので、発見した後世の学者を驚かせた。
彼らの時代も今も、混迷の世だ。だからこそ自由の気風で望ましい国の姿を想像することが、私たち主権者の役目ではないだろうか。
2017年09月20日
2017-06-29 「明治の『野党共闘』」@朝日新聞
明治の「野党共闘」
(2017年6月29日 朝日新聞採用)
(2017年6月29日 朝日新聞採用)
国有地払下げ汚職、国民無視の条約交渉、市民運動の取締り……。今から約百三十年前、明治前期の日本を揺るがした社会問題である。当時も長州閥を中心とする一部勢力が権力を独占し、支配者に異を唱え自由民権を主張する運動は徹底的に弾圧された。
そんな世の中で、政権の横暴を阻止すべく「野党共闘」の実現を試みた人物がいる。かつて、坂本龍馬が考え出した大政奉還のアイディアを最後の将軍・徳川慶喜に提案した土佐の実力者、後藤象二郎だ。
その数年前から全国に広がっていた自由民権運動は、政権側による謀略もあり、板垣退助率いる自由党と大隈重信率いる立憲改進党とに分かれていた。自由民権運動が悲願としていた第一回衆議院議員選挙がようやく行われるのに備え、野党共闘で議会の多数を取る狙いであった。
後藤はこの構想を、遊説で訪れた山形で訴えた。やはり当時の地方社会でも、自分たちが関与できないまま東京の数人の首脳らによって操られていく政治に、やり場のない憤りが渦巻いていたのではないか。
その影響力を政権側に警戒された後藤は引き抜き工作を受け、それにあえて乗る形で政権側の一員となる。後藤というリーダーを失った自由民権派だが、それでも第一回衆院選で政権側を圧倒的に上回る議席を獲得した。
明治の地方の名士は、選挙によって政権の専横にNOを示した。果たして現代の人々にそれができるか、試されるときである。
2017年09月20日
2017-04-27 「語り継ぐ 明治の英雄譚」@山形新聞
語り継ぐ 明治の英雄譚
(2017年4月27日 山形新聞採用)
(2017年4月27日 山形新聞採用)
時は明治初年。天下を奪った薩摩・長州をはじめとする新政府軍は、降伏を表明した旧幕府軍を執拗に攻め立て、東日本各地が戦場となった。戊辰戦争である。
会津藩と並び最後まで新政府軍と戦ったのが、われらが庄内藩。その忠義に感銘を受けた薩摩の西郷隆盛が、敗者となった庄内藩に寛大な処分を下したという。
美談のように聞こえるが、これには後日談がある。保護された庄内藩の支配者層はそのまま県の役人となり、あろうことか新政府の基準よりも厳しく百姓から年貢を取り立てたのだ。この仕打ちへの怒りは庄内中に広がり、政治運動となる。
払いすぎた年貢を精算すれば「ワッパ(当時の弁当箱)いっぱいの銭が戻るはずだ」というのが、農民から商人、良心派の役人までもを一体にしたこの運動の合言葉だった。巧みなコミュニケーション戦術もさることながら、正義のためには処罰をも恐れぬ地元のリーダーらが繰り返し政府や司法に訴えたことで、ついには領民側が返金を勝ち取る。その名も「ワッパ騒動」だ。
私財を投げ打ってこの運動に尽くしたのが、酒田きっての知恵者、森藤右衛門(もり・とうえもん)。当時の書物に、なんと福澤諭吉や板垣退助と並ぶ偉人として描かれている。
権力者だけが歴史のヒーローではない。無名の民の中にこそ、自他の苦境を見過ごさず、おかしいことをおかしいと言う勇者がいる。美談と対になる泥臭い英雄譚を、語り継ぎ範としていきたい。
2017年09月09日
2017-04-14 「集団的自衛に誰が行くの?」@河北新報
集団的自衛に誰が行くの?
(2017年4月14日 河北新報採用)
(2017年4月14日 河北新報採用)
宅配便業界で働き手が集まらず、運賃値上げやサービスの縮小を迫られているという報道は記憶に新しい。割に合わない労働環境が忌避された当然の結果だ。
この現象は、ひとたび決着したかに思われる集団的自衛権論議に示唆を与える。国際社会の安定に貢献だとか国家としての自立だとか抽象論が唱えられるが、当の担い手は雇えるのかという問題だ。
集団的自衛権容認の決定がなされた昨今、自衛隊の入隊志願者はどれほど減ったのか。その具体的な発動の気配が迫るほど隊員は減るだろう。「割に合わない」からである。
自衛隊員が不足するとなれば、まず何が起きるか。日本の自衛隊が現にもたらす最大の恩恵は、東日本大震災で克明となったように災害救援だ。高確率で到来するとされる南海トラフ地震のような広範囲的大災害に対し、自衛隊が十分救援できないとなれば、まさに国難の極みである。
防衛といえども、働く当事者の「割に合うか、合わないか」と無縁ではいられない。憂国の論者らはお国のためなら身を顧みない志士を想定しているのかもしれないが、私を含む現代人は狡猾である。集団的自衛権の論議では、隊員が減ることによる現実的リスクに目をつぶってはならない。
2017年09月09日
2017-03-18 「新品種の名 歴史の妙」@山形新聞
新品種の名 歴史の妙
山本泰弘 研究者 30
(2017年3月18日山形新聞掲載)
山本泰弘 研究者 30
(2017年3月18日山形新聞掲載)
同じ党派といえど劇的な戦果を挙げる者が党主流派から警戒視されたり、権力者がその兄弟を謀殺するというのは、現代に限ったことではなく歴史の常と言えよう。*
約八百年前、それらの運命を背負った男たちが、出羽国へと足を踏み入れようとしていた。誰あろう、幼名を牛若丸という源九郎判官義経と、同じく幼名鬼若丸の武蔵坊弁慶である。
鎌倉将軍源頼朝に追われいわば全国指名手配中の彼らは、羽黒山を目指す旅の山伏になりきり、決死の演技で関所の突破を試みる。関守は、彼らの正体を見破りつつもその覚悟に絆され通行を許す。
伝承によれば、歌舞伎「勧進帳」に描かれるこのドラマの舞台は、鶴岡市旧温海町の鼠ヶ関。悠久の時を経て、いま庄内から生まれた米の新品種が「雪若丸」と名づけられたことには、歴史の妙を感じざるを得ない。
熾烈な市場に散るか、海を越えて覇王となるかは、後世の瞳のみぞ知る。
(*当時、小池百合子都知事の活躍や金正男氏暗殺事件が話題であった。)