2010年05月01日

学士論文 終章

終章


 社会的責任投資への注目の拡大は、大別して機関投資家の視点と個人投資家の視点の2つの観点からの要因によるものと結論付けられる。

1.機関投資家
 年金機構・金融機関に所属してそこに集まった資金を運用する機関投資家は、各個人投資家の利益を最大化するように運用を行わなければならないとする「受託者責任」を有する立場にある。従来の株主利益至上の考え方であれば、環境・社会・企業統治への配慮よりも優先して運用利益を挙げるべきとの方針がとられた、つまりそれらへの"配慮"は投資家から見た企業の利益を減じるものとされていたのである。これには株主利益が至上の指標とされていたことに加え、短期的な業績を評価するという要因があった。
 しかし受託者責任を運用成績のみならず環境・社会・企業統治の分野にまで拡大することと、企業の活動を中長期のスパンで評価することの2つの考え方が機関投資家に認識されることによって、投資のあり方は株主利益至上から軌道修正されたと言える。環境・社会・企業統治への貢献は、それらの分野で突然問題が発覚したり規制により活動が制限されたりというような企業のリスクを軽減し、他方業務効率や社会的評価を高めることで中長期的に経済的利益に結びつくという認識が一般的になっているのである。「株主利益パラダイム」の観点から見れば株主・投資家利益至上の投資のあり方は合理的であるが、社会的責任投資は社会における株主・投資家以外の主体と、中長期的視野とを観点に含めた新たな合理性をもつと言える。

 国際的に提唱された「環境と持続可能な発展に関する金融機関声明」・「赤道原則」・「責任投資原則」は、そのような拡大した観点からの合理性を公的な規範として定着させる試みであったと言える。環境・社会・企業統治への配慮が経済的利益に合致するという考え方を、特に先進国の機関投資家の間に普及させた。同時に一般の投資家にも発想転換の機会を与えることになったと推測される。さらに責任投資原則に署名した金融機関の数と資産が積算されていることは、社会的責任投資の規模を表す重要な指標になっている。

 英国・ドイツ・スウェーデンなどにおける年金法改正は、機関投資家・個人投資家、ないし国家・社会・経済の社会的責任投資へのニーズに対応した効果的な政策であると言える。それまで各年金基金の自主性に任されていた社会・環境・倫理面への配慮実態の情報開示が一律に求められるようになったことは、投資における社会的責任の履行が、投資判断における付加的な情報から投資先間で比較可能な指標の一つに格上げされたという意義を持つ。この制度のもとでは、投資を受ける側の企業などに社会的配慮・貢献の面で競争原理がもたらされることも十分期待できる。
 ただし、この制度は社会的責任投資の概念と有効性が機関投資家・個人投資家・企業・政策決定者の間で一定程度共有されていたからこそ実現し、効果を得たものである。法改正以前にすでに社会・環境・倫理面の配慮を評価する投資家(特に機関投資家)と潜在的にそれらの面を認識する投資家が十分に存在し、既存の指標に新たにそういった投資家の視野に入る指標が加わることによって、投資市場にインパクトを与えるほどの変化が見込まれなくてはならない。単に社会的配慮の情報開示が義務付けられたとしても、ごく一部の関心層が注目し市場に影響を与えない程度の変化をもたらすのでは有効とは言えない。投資機関の側でも、社会的配慮の有無・程度が比較可能なほど各社間でその実施が普及していたのである。

 それらの動きを現実的に補強した取り組みとして、「グローバル・レポーティング・イニシアティブ」・「カーボン・ディスクロージャー・プロジェクト」がある。いずれも、金融機関を含めた事業者の社会的責任行動*の可視化を推進する。具体的に情報開示の形態の標準化を進展させた前者と、事業者の環境対応を調査し一覧化する後者は、いずれも社会的責任を基準とした相互比較を可能にする基盤を築くものである。これは投資先評価の一般基準として社会的責任が組み込まれることを明らかにする動きと言える。

*「グローバル・レポーティング・イニシアティブ」は事業活動と社会の持続可能性に、「カーボン・ディスクロージャー・プロジェクト」は事業活動に伴う環境影響に、それぞれ主題を置いている。


 日本の機関投資家については、投資家単位の社会的責任投資(ある投資家が、運用する資金全体に一定のスクリーニングを行うというような)が計上されていないために、欧米と比べ著しく社会的責任投資の規模が小さいと報告される*。これには機関投資家自身や一般投資家、預金者、その他国民の間に資産運用方法に対する関心や戦略が欧米と比較して極めて薄かったことが尾を引いている。国民の中で積極的な資産運用を行う者の割合は小さく、さらにその運用において経済的利益以外の社会的影響を考慮する者は近年までほとんどなかったと考えられる。積極的な資産運用は専門的な領域として存在し、アメリカのように世論が注目する社会運動と結びついて勢力を持つことはなかった。一般の国民は預け先からの資金の行方を知り得ることなく、生活上便利な郵便貯金*や大小の銀行を「金庫」として預貯金を重ねてきた。このような社会慣習が結果として投資家利益至上の投資の問題点を温存させることになったとともに、機関投資家の社会的責任投資に対する"鈍さ"を醸成することとなった。

*郵便貯金の資金は財政投融資の形で行政関連用途に投下されたが、この使途に関しても問題点が多々指摘されている。

 欧米から始まった潮流に比較的敏感な大手都市銀行・証券会社等は、対象企業の自主回答によるアンケート調査の結果を指標として優良と選定した企業群への投資信託商品を提供することを、社会的責任投資への取り組みとしているのが主流の状況である。募債対象は専ら個人投資家であり、そこに投じられた資金に限って運用に社会的配慮が織り込まれる。どの分野の社会性を重視するかによって顧客が投資商品を選ぶようになっており、銀行・証券会社は選択肢を設けて個人の社会的責任投資の仲介を行っていると言える。

 しかしこれらをもって日本の大手金融機関が社会的責任投資に消極的であるとするのは早計である。欧米からの「企業の社会的責任」概念の輸入による関心の高まりと、事業者による環境/CSR/サステイナビリティ報告書発行の普及が契機となり、金融機関が本業において果たす「社会的責任」を表明する必要に迫られた。各金融機関の株主、出資者、外部の金融評価機関、そして一般顧客や就職活動を行う学生までもの人々の目に環境/CSR/サステイナビリティ報告書が晒されることで、相互に研鑽がなされていったと推察される。
 その延長線上の動きとして、日本の金融機関の中からも社会的責任投資に関する国際的な宣言文に公式に同意を示す例が現れ始めている。ただ依然一般投資家・預金者からの資産の運用の仕方について多くの銀行・金融機関が社会的責任上の明確な基準を自主方針にとどめているのが未発展な点といえるが、第3章で触れたサステイナビリティ報告の国際標準化の流れがこの分野の進展に寄与すると考えられる。サステイナビリティ報告の標準化により各企業・各金融機関の社会的責任行動の可視化が進むことで、社会的責任行動の面での競争的発展が起きつつある。投資家は投資先の選定にあたり企業の社会的責任行動を重視するであろうし、それら投資家が求める情報を提供する媒体がサステイナビリティ報告書なのである。この関係は機関投資家(金融機関)と企業との間のみならず、一般・機関投資家と機関投資家との間にも当てはまる。

 ただし、この分野ではすでに欧米先進国が主導権を取っていることに注意しなければならない。社会的責任投資を、機関投資家が国際協定に署名するという手続きで公的に認め、それに従った範囲のものを定量化するというのは社会的責任投資先進国のスタンダードである。この形式が国際投資市場で一般化すれば、この手続きを踏んでいないことを理由に日本の金融機関への投資の優先度が下がるのではないか。それを警戒し、社会的責任投資への認識が拡大していく過程で、日本の金融機関が先進国標準に追いつく形で国際的枠組み・協定への参加・署名を進める可能性が考えられる。第2章で述べた「グローバル・レポーティング・イニシアティブ」の国際標準に日本企業が準拠するようになったことが類似の例として示唆を与える。


2.個人投資家
 個人投資家・預金者にとっての従来の投資目的は、基本的には自己資産の利殖と保全が主である。一般的に金融商品は利率と安全性で判断され、個人投資家や預金者の多くは自らの資産がどのように運用されているのか把握し得なかった。前述のように、資産運用を行うのはごく一部の領域の人々に限られており、一般の人々は単に身近な金融機関に預貯金していれば安全性が保て十分な利子を得ることができていた。また他方では、社会問題に対する意見表明の手段として資産運用がほとんど想定されなかったことが特にアメリカとの違いとしてある。金融機関の投資の仕方に特に関心を持つ投資家・預金者にはかつても信用金庫・労働金庫のような選択肢があったが、それらの社会的存在は限定的であり、資産の利殖という目的にはなじまなかった。

 これに変化のきっかけを与えた要素として、まずは1990年代後半からの国内金融機関の低金利とそれをもとに2000年代にかけて起こった投資ブームが考えられる。一般の金融機関にただ預貯金していても利子がほとんどつかないことから、一般の人々も株式投資・投資信託・外貨預金などの積極的な資産運用に参入し始める動きが見られた。現在そのブームは下火となったかに見えるが、低金利状態が続くことは積極的な資産運用の必要性を保たせることになると考えられる。
 この流れとは別に、1990年代からのいわゆるグローバル化の潮流が関心を集める過程で、地球レベルの環境問題や多国籍企業による不適切な流通・労働環境の問題が注目を集めることとなった。その問題意識が浸透する過程で、それらの原因である経済活動を成り立たせる「投資」の流れを、要因として捉えるアプローチが日本でも現れたと読み取れる。日本では長らく"生活習慣や購買行動の中で環境や社会への配慮をする"という呼びかけが(啓発・教育・広告などで)なされてきたが、投資や預貯金に目を向けるこのアプローチは進展の余地があると考えられる。その上では前述の資産運用の一般化の流れは追い風となる。
 さらに、同じく「環境」を共通項とした最近の地域単位の再生可能エネルギー供給の動きはこれに新たな推進力を加える。太陽光発電設備など一般家庭で導入できる設備への国や自治体による優遇が一般化する中で、これらのエネルギー供給が広く社会に浸透するとともに、投資の一形態としての捉え方も普及しつつあると見られる。これが各地での「市民風車」事業、太陽光発電装置設置事業などに対する市民出資を成功させたものと読み取れる。これは社会的影響の関心対象として人権分野などより環境分野が重視される日本の特徴を反映していると言える。同時に市民出資によるコミュニティビジネス支援事業の実績は、地域単位での資金還流の必要性を示している。

 ただし、資産を運用するという認識が預金者一般の間に定着しているとは言えない日本においては、それだけ社会的責任を重視した運用を志向する動きは小さい。一般の人々にとっては市中銀行が最も身近な金融機関であり、中でも特に社会貢献への関心が高く投資商品を購入することができるほど情報や余裕がある者のみが、個人単位で社会的責任投資ファンドを購入しているのが現状と言える。
 投資ブームの訪れで一般の人々に資産運用が普及したとはいえ、それはいまだ投資の社会的影響を考慮すべきとする動きと合流していない。投資家利益を追求して資産運用を行う層と、社会的影響を考慮した運用を志向する層とには隔たりがあると思われる。
 
 また国内の社会的責任投資の文脈において、多数の著作・論文の中で 業態そのものがより公益追求に近い信用金庫・労働金庫や地方銀行の存在が話題に上がることは少ない。A SEED JAPANの啓発キャンペーンで言及されている程度である。さらに、コミュニティ金融・NPOバンクの成功例は強固な運営組織と環境省や自治体の政策・補助金によって支えられているのが現状であると言える。日常的な金融機関の一つとして個人投資家・預金者に一般的に認知されるには至らず、今後の発展的な支援政策が待たれる。


3.日本の政策への言及
 環境対策への世論の高まりに伴い、メディアの報道や各種教育啓発事業、エコカーや高エネルギー効率の家電製品の導入を促す政策の実施、太陽光発電政策問題への注目などにより、日本の社会一般において「環境対策としては、中長期的にコストを考慮した上での現時点での投資を行う必要がある」との認識が共有されている。これは生活レベルでは高効率家電・エコカーの導入、事業者レベルでは環境負荷削減のための設備投資という形で広く実施されているが、この考え方をいかに金融資産運用という面での「投資」に拡大するかが課題の焦点と言える。個人・家計や一社内の投資のみならず、社会全体として意義ある社会的責任投資に価値を認めこれを導く政策が必要である。大手金融機関をはじめ民間レベルでもその動きは始まっているが、「低炭素社会の構築」・「高い競争力を誇る環境技術の開発」・「再生可能エネルギーシステムの構築」*などの実現のためには、国策として投資一般の社会的責任投資への方向付けを行うことが避けられない。
 また、投資への配慮や社会的責任分野の情報開示の標準化が進みつつある国際市場においては、
日本の政策として社会的責任投資を

経済・金融危機の発生は一般の人々の間に利益至上の投資のあり方の問題点を認識させることとなった。

*社会的責任投資において重視される「環境」・「社会」・「企業統治」の3領域のうち、日本において特に必要とされる「環境」分野の国家的課題を例示した。


4.総括
 以上すべての内容を踏まえると、社会的責任投資台頭の動きは金融に環境・社会影響という指標を組み込み、投資市場にそれら複合的指標での新たな競争を発生させたものと言える。投資家一般の間で環境・社会的影響に正負の価値が認められていることは疑う余地がない。従来の投資家利益至上の価値観にこの指標が加わることで、投資家・事業者は新たな領域での競争が可能になり、先駆者に引き込まれる形で投資家・事業者一般に対応が求められつつある。従来の投資や経済活動のあり方が経済の外部領域の負荷・搾取による競争に依存していたものとすれば、社会的責任投資が導入された経済では外部領域の負荷・搾取を解消し貢献に転換する競争が行われる。

 同時にこれは経済以外の領域にも及ぶ合理性を追及する動きともとらえられる。つまり同じお金でより多くの経済・環境・社会面の利益を生もうとすることが社会的責任投資の意義として読み取れるのである。従来は投資においては環境・社会の利益が軽視されていたが、表面的には国際的枠組みでの合意や一般世論の関心により、潜在的には相互の競争で優位に立てる材料として、それらの価値が浮上した。その結果各面でバランスのとれた社会的責任投資が発展するに至った。

 この"お金の合理的な使い方"が社会的責任投資であるとする解釈は、日本の政策について考えるにあたりヒントを与える。前述のように欧米と比較して日本の社会的責任投資は大きく浸透の余地を残すが、現状は"環境・社会的影響とは独立して投資利益が求められている"のが主流と言える。これは思いきって言えば環境・社会の向上のためには追加的な投資が必要ということにつながるのではないか。老国であり、それでいて持続可能な社会への転換が求められる日本には、経済の環境・社会貢献での競争を加速させる社会的責任投資は極めて必要性が高い。特に積極的な資産運用に参加していなかった公的セクターの機関投資家や個人に対しては、環境・社会的な効果が投資への後押しとなると考えられる。各地でのコミュニティ金融の成功例は、環境分野の事業が地域住民の出資に支えられ成り立つことを示している。

 本論文では先進国の投資市場・金融機関・政府の動きを中心的に扱ったが、現代の経済・金融においては新興国・途上国の影響力が多大であることに注意しなければならない。欧米先進国によって標準化されたかに見える社会的責任投資の評価軸に、新興国の経済・金融はどのように対応するのか。日本と同様に後発的に受容し競争に参加していくのか、あるいは経済成長の勢いで株主利益パラダイムへ揺り戻してしまうのか。それにより希望的に思われる社会的責任投資の進路が明暗を分ける。今後の焦点は、社会的責任投資の文脈において姿を見せないできた新興国・途上国の金融の動向だ。

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